科目の概要
二つの位相空間が同相でないことを示すのは、同相であることを示すよりずっと難しい。たとえば「 と は同相でない」「球面 とトーラス は同相でない」は直観的には明らかだが、すべての連続写像を調べ尽くすことはできない。代数的位相幾何学 (algebraic topology) は、この問題に次の発想で答える。
- 位相空間 に群・加群・環などの代数的不変量を対応させる(基本群 、ホモロジー群 、コホモロジー環 、ホモトピー群 )。
- 連続写像 に準同型 (または )を対応させ、合成を合成に写す(関手性)。
- すると同相な空間には同型な不変量が対応するので、「不変量が同型でなければ空間は同相でない」と結論できる。さらに多くの不変量はホモトピーで変わらないので、「連続変形で移り合わない」ことまで示せる。
この発想から、ブラウアーの不動点定理、毛玉の定理、ボルスク–ウラムの定理、()、代数学の基本定理といった、一見代数とは無関係な定理が統一的に証明される。一方で、不変量の計算そのものが豊かな数学であり、群の表示・完全列・鎖複体といった代数の道具が自然に現れる。実際、ホモロジー代数(12-category-homological-algebra)はこの科目の計算技術を抽象化して生まれた分野である。
代数的位相幾何学の考え方は現代数学のいたるところで使われる。代数幾何学の層コホモロジー、微分幾何学の特性類とド・ラーム理論、リーマン面の一意化、表現論におけるリー群の位相、さらに数論のエタール・コホモロジーに至るまで、「空間に代数的対象を対応させて調べる」という方法の直系の子孫である。
本科目は、基本群と被覆空間(第1〜3章)、特異ホモロジーとその計算(第4〜5章)、コホモロジーとカップ積・ポアンカレ双対性(第6〜7章)、高次ホモトピー群(第8章)を扱う。
前提知識
- 集合と位相:位相空間と連続写像(03-topology 第2章)、商位相・積位相(第3章)、コンパクト性とルベーグ数の補題(第5章)、連結性・弧状連結性(第6章)。
- 代数学:群・準同型定理・正規部分群(04-algebra 第2章)、交換子群(第4章)、加群と有限生成アーベル群の構造定理(第7章)。
- 線形代数:線形写像と商空間(02-linear-algebra 第3章)、テンソル積(第9章、第6章で少し使う)。
- あれば望ましい:多様体の定義(07-manifolds 第2章)とド・ラーム・コホモロジー(第7章)。第7章の理解が深まる。
到達目標
- [ ] ホモトピー・ホモトピー同値・変位レトラクトの定義を述べ、具体的な空間のホモトピー型を判定できる
- [ ] 基本群が群になることを証明し、持ち上げを用いて を証明できる
- [ ] ファン・カンペンの定理を用いて、円周のブーケ・射影平面・閉曲面・結び目の補空間の基本群を生成元と関係式で表せる
- [ ] 被覆空間の分類定理(基本群の部分群とのガロア対応)を述べ、被覆変換群を計算できる
- [ ] 特異ホモロジーの基本性質(ホモトピー不変性・長完全列・切除定理)を説明できる
- [ ] マイヤー–ヴィートリス完全列と胞体ホモロジーを用いて、球面・射影空間・閉曲面のホモロジーを計算できる
- [ ] 写像度を用いてブラウアーの不動点定理と毛玉の定理を証明できる
- [ ] 普遍係数定理でコホモロジーを計算し、カップ積を用いてホモロジーでは区別できない空間を区別できる
- [ ] ポアンカレ双対定理を正確に述べ、オイラー標数・交叉形式・射影空間のコホモロジー環に応用できる
- [ ] 高次ホモトピー群の基本性質とファイブレーションの長完全列を用いて簡単な計算ができる
章立て
- ホモトピーと基本群 — ホモトピー同値と変位レトラクト、基本群の定義と関手性。持ち上げによる の証明と、ブラウアーの不動点定理(2 次元)・代数学の基本定理への応用。
- ファン・カンペンの定理 — 自由群・群の表示・自由積と融合積。ファン・カンペンの定理の証明と、ブーケ・射影平面・閉曲面・三葉結び目の補空間への応用。曲面の分類。
- 被覆空間 — 持ち上げ定理、被覆変換群、普遍被覆の構成、基本群の部分群とのガロア対応。群作用による商と、自由群の部分群への応用(ニールセン–シュライアー)。
- 特異ホモロジー — 単体ホモロジーによる動機づけ、鎖複体、特異ホモロジーの定義、ホモトピー不変性、長完全列(蛇の補題)、切除定理、 と基本群のアーベル化。
- ホモロジーの計算と応用 — マイヤー–ヴィートリス完全列、球面のホモロジー、写像度と毛玉の定理、CW 複体と胞体ホモロジー、オイラー標数、レフシェッツの不動点定理。
- コホモロジーとカップ積 — 普遍係数定理(Ext と Tor)、コホモロジーの公理的性質、カップ積とコホモロジー環、キュネットの公式、ボルスク–ウラムの定理。
- ポアンカレ双対性 — 多様体の向き付けと基本類、キャップ積、ポアンカレ双対定理、交叉形式と符号数、射影空間のコホモロジー環、アレクサンダー双対とド・ラームの定理。
- 高次ホモトピー群 — の定義と可換性、ファイブレーションの長完全列、ホップファイブレーションと 、フレヴィッツ・ホワイトヘッドの定理、アイレンベルグ–マクレーン空間、球面のホモトピー群。
章の依存関係はおおよそ次のとおりである。第1章 → 第2章 → 第3章(ホモトピー論の系列)と、第1章 → 第4章 → 第5章 → 第6章 → 第7章(ホモロジー論の系列)はほぼ独立に読める(第4章の最後の節だけは第2章の結果を例に使う)。第8章は両方の系列を使う。
学習時間の目安と進め方
- 1 章あたり 12〜15 時間(演習を含む)、全体で 100〜120 時間程度を目安とする。
- この教材には図がない。貼り合わせ・変位レトラクト・胞体構造の記述を読むときは、必ず自分で図を描くこと。代数的位相幾何学では「図を描けば一目でわかるが、式で書くと長い」議論が多い。本文では図の代わりに言葉と式で丁寧に描写しているので、それを図に翻訳する練習をするとよい。
- 基本例(円周 、球面 、トーラス 、射影空間 と 、閉曲面 、円周のブーケ)の不変量を、章が進むたびに表にまとめ直すと、理論どうしのつながりが見える。
- 深い定理(切除定理・ポアンカレ双対定理・フレヴィッツの定理など)の完全な証明は長い。本教材では証明の方針を示して参考文献に譲った箇所があり、その旨を明記している。最初は主張と使い方を身につけ、二度目に証明を追うのが効率的である。
参考文献
- A. Hatcher, Algebraic Topology (Cambridge University Press) — 現在の標準的教科書。幾何的な直観を重視し、例と演習が非常に豊富である。本教材の構成と記法の多くはこの本に合わせている。
- W. S. Massey, A Basic Course in Algebraic Topology (Springer) — 曲面の分類・基本群・被覆空間を丁寧に扱ったあと、特異ホモロジーとコホモロジーに進む。第1〜3章の副読本として適する。
- J. P. May, A Concise Course in Algebraic Topology (University of Chicago Press) — 圏論的な視点で簡潔に書かれた上級向けの本。一通り学んだあとに全体を見直すのによい。
- 田村一郎『トポロジー』(岩波書店) — 単体複体のホモロジーを中心に古典的な位相幾何学を解説した、日本語の定番教科書。
- 中岡稔『位相幾何学―ホモロジー論―』(共立出版) — ホモロジー論を本格的に展開した古典的な教科書。第4〜7章の証明を詳しく知りたいときに参照するとよい。
- 小島定吉『トポロジー入門』(共立出版) — 基本群・被覆空間・曲面などの入門的な話題を、具体例とともに扱う。
- 坪井俊『幾何学II ホモロジー入門』(東京大学出版会) — ホモロジーの入門書。計算例が多く、第4〜5章の副読本として適する。
- 枡田幹也『代数的トポロジー』(朝倉書店) — ホモロジー・コホモロジーを中心とする代数的トポロジーの教科書。
- R. Bott, L. W. Tu, Differential Forms in Algebraic Topology (Springer) — 微分形式を用いて代数的位相幾何学を展開する。第6〜7章とド・ラーム理論の関係を学ぶのに適する。
次に学ぶもの
- 12-category-homological-algebra 圏論とホモロジー代数 — 鎖複体・完全列・Ext と Tor・スペクトル系列を一般的な枠組みで扱う。特に第5章(導来関手)と第6章(スペクトル系列)。
- 14-algebraic-geometry 第7章 — 層のコホモロジー。本科目のコホモロジーの考え方が代数幾何で使われる。
- 17-riemannian-geometry 第6章、第7章 — 特性類とホッジ理論。ポアンカレ双対性とド・ラームの定理の幾何学的な深化。
- 19-riemann-surfaces 第6章 — 普遍被覆と一意化定理。第3章の被覆空間論が本質的に使われる。
- 16-lie-groups-representations 第2章 — リー群の基本群と被覆( の二重被覆)。
- 20-problems 第6章、第9章 — 位相幾何学を含む総合演習。