科目の概要
リーマン面 (Riemann surface) は複素 1 次元の多様体であり、「正則関数を考えることのできる曲面」である。リーマンは や のような多価関数を 1 価にするためにこの概念を導入したが、やがてリーマン面は数学の多くの分野が出会う場所であることがわかった。
| 視点 | 対象 | この科目での主役 |
|---|---|---|
| 複素解析 | 多価関数・二重周期関数 | と のリーマン面、ワイエルシュトラスの 関数 |
| 位相・微分幾何 | 閉曲面・双曲幾何 | 種数、リーマン–フルヴィッツの公式、、面積 |
| 代数幾何 | 射影代数曲線 | 超楕円曲線 、フェルマー曲線、リーマン–ロッホの定理 |
| 数論 | 楕円曲線・モジュラー形式 | アイゼンシュタイン級数、判別式 、 関数、谷山–志村予想 |
第1章でリーマン面と正則写像の基本(局所標準形・次数・リーマン–フルヴィッツの公式)を学んだあと、第2章・第3章では種数 1 の場合を徹底的に調べる。複素トーラス 上の有理型関数は楕円関数であり、 関数によって は平面 3 次曲線(楕円曲線)と同型になる(第2章)。複素トーラスの同型類全体は と一致し、その上の「関数」を調べるのがモジュラー形式の理論である(第3章)。第4章以降は一般の種数に戻り、微分形式と周期(第4章)、リーマン–ロッホの定理とその応用(第5章)、一意化定理と双曲幾何(第6章)を扱う。最後に、種数 の曲面のモジュライが 次元であることを見て、第3章の (種数 1 のモジュライ)と結びつける。
前提知識
- 複素関数論:ローラン展開と孤立特異点(05-complex-analysis 第4章)、留数定理と偏角の原理(第5章)、円板と上半平面の自己同型群・リーマンの写像定理(第6章)、 の部分分数展開と解析接続(第7章)
- 多様体:多様体の定義(07-manifolds 第2章)、微分形式とストークスの定理(第5章・第6章)、ド・ラーム・コホモロジー(第7章)
- 位相幾何:基本群と被覆空間(09-algebraic-topology 第1章〜第3章)。閉曲面の分類(第2章)とオイラー標数(第5章)は結果を使う
- 代数:群の作用、 の計算(04-algebra 第3章)
- あると理解が深まるもの:代数曲線論(14-algebraic-geometry 第8章)、L 関数(15-algebraic-number-theory 第6章)
この科目の記法
NOTATION.md に加えて、この科目では次の記法を使う。
| 記号 | 意味 |
|---|---|
| リーマン球面 | |
| , | 単位円板 , 上半平面 |
| , | 上の正則関数の環、有理型関数の体 |
| 正則写像 の点 での分岐指数(多重度) | |
| , | 格子、() |
| モジュラー群(第3章) | |
| 展開の変数( を使う古い本もある) | |
| 約数の 乗和 | |
| ベルヌーイ数 (, , ) | |
| , | アイゼンシュタイン級数 と (正規化の流儀の違いは第3章 3.4 節で比較する) |
| , | 重さ のモジュラー形式・尖点形式の空間( に関する) |
| , | , |
| , | 有理型関数・有理型 1 形式の因子 |
| , | とその次元 |
| , | 標準因子、正則 1 形式の空間 |
| 種数 |
注意
アイゼンシュタイン級数の記号は本によって大きく異なる。特に J.-P. Serre『数論講義』は重さを と書き、 で を表す(したがって Serre の は本書の )。また判別式 を の意味で使う本も多い。他の本と式を比べるときは必ず定義を確認すること。
到達目標
- [ ] 正則座標変換によってリーマン面を定義し、リーマン球面・複素トーラス・滑らかな平面曲線がリーマン面であることを示せる
- [ ] 正則写像の局所標準形 と次数の well-definedness を証明し、分岐指数を具体的に計算できる
- [ ] リーマン–フルヴィッツの公式を証明し、超楕円曲線やフェルマー曲線の種数を求められる
- [ ] 楕円関数に関するリウヴィルの定理群を証明し、 関数の微分方程式と加法定理を導ける
- [ ] が平面 3 次曲線と同型であることを示し、 不変量で複素トーラスを分類できる
- [ ] の基本領域を決定し、生成元 を求められる
- [ ] アイゼンシュタイン級数の 展開を導き、 と の正規化を区別して係数を計算できる
- [ ] 公式を証明し、 と を導ける
- [ ] と の 展開を計算し、ラマヌジャンの合同式 を証明できる
- [ ] リーマン面上の有理型 1 形式の留数定理と、リーマンの双線形関係を証明できる
- [ ] リーマン–ロッホの定理を(有限性と双対性を認めて)証明し、種数 0・1・2 の曲線の構造やワイエルシュトラス点に応用できる
- [ ] 一意化定理の内容を説明し、種数 のコンパクトリーマン面が であることを導ける
- [ ] 双曲平面の測地線・距離・三角形の面積を計算し、面積 とフルヴィッツの 定理の意味を説明できる
- [ ] モジュライ空間の次元 をリーマン–ロッホの定理から説明できる
章立て
- リーマン面の定義と例 — 複素構造、リーマン球面、複素トーラス、滑らかな平面曲線(陰関数定理)、 と のリーマン面、正則写像と有理型関数、局所標準形、分岐、次数、リーマン–フルヴィッツの公式、複素トーラスの間の正則写像と同型の分類。
- 楕円関数 — 格子と楕円関数、リウヴィルの定理群とアーベルの関係、 関数とその微分方程式、格子のアイゼンシュタイン級数、 と平面 3 次曲線の同型、加法定理と群構造、楕円積分とヤコビの楕円関数、 不変量。
- モジュラー形式 — の基本領域と生成元、モジュラー形式の定義、アイゼンシュタイン級数の 展開と正規化、 公式、次元公式と 、 と 、ラマヌジャンの 関数、ヘッケ作用素、テータ関数と 4 平方和、谷山–志村予想とフェルマーの最終定理。
- 微分形式と積分 — 形式と 形式、正則・有理型 1 形式、留数定理、ストークスの定理、調和形式、正則 1 形式の空間、周期とリーマンの双線形関係、ヤコビ多様体、ワイルの補題とディリクレ原理。
- リーマン–ロッホの定理 — 因子と線形同値、直線束、、ミッタク–レフラー問題と 、リーマン–ロッホの定理、種数 0・1・2 への応用、標準写像、ワイエルシュトラス点、アーベル–ヤコビの定理、射影代数曲線としての実現。
- 一意化定理と双曲幾何 — 普遍被覆、一意化定理、自己同型群とリーマン面の分類、小ピカールの定理、ポアンカレ計量・測地線・面積、フックス群と基本領域、面積 、フルヴィッツの 定理、タイヒミュラー空間とモジュライ空間。
学習時間の目安と進め方
- 全体で 80〜100 時間(1 章あたり 13〜17 時間)を目安とする。講義なら半期〜通年に相当する。
- 読む順序は二通りある。数論に向かう道は第1章 → 第2章 → 第3章(種数 1 とモジュラー形式)、幾何に向かう道は第1章 → 第4章 → 第5章 → 第6章である。第6章は第3章の基本領域と第5章のリーマン–ロッホの定理を使うので、最終的には全章を通読してほしい。
- 各定理を必ず具体例で確かめること。超楕円曲線 、フェルマー曲線 、複素トーラス、 関数は全章を通じて繰り返し登場する。種数はリーマン–フルヴィッツの公式、標準因子の次数 、ワイエルシュトラス点の重みの総和 など、複数の方法で計算して一致を確かめるとよい。
- 展開の係数(, , , , , など)は自分の手で計算して検算すること。係数の比較から約数関数の恒等式やラマヌジャンの合同式が得られるのがこの理論の醍醐味である。
- 深い存在定理(リーマン–ロッホの定理の有限性とセール双対性、一意化定理、アーベル–ヤコビの定理)は主張を認めて使う箇所がある。本文では、どこまで証明し、何を認めたかを明記している。
参考文献
リーマン面
- O. Forster, Lectures on Riemann Surfaces (Springer) — 被覆空間・層のコホモロジー・リーマン–ロッホの定理・セール双対性・一意化定理を解析的に完全に証明する標準的教科書。第5章・第6章で認めた定理の証明はここで読める。
- H. M. Farkas, I. Kra, Riemann Surfaces (Springer) — 古典的な関数論の立場からの本格的な教科書。ワイエルシュトラス点・自己同型群・一意化・テータ関数を詳しく扱う。
- R. Miranda, Algebraic Curves and Riemann Surfaces (American Mathematical Society) — 具体例と計算を重視した入門書。超楕円曲線・平面曲線・リーマン–ロッホの定理の応用が豊富で、本科目と最も相性がよい。
- S. K. Donaldson, Riemann Surfaces (Oxford University Press) — 微分幾何と偏微分方程式の立場から、ディリクレ原理とホッジ理論を経て一意化定理を証明する。
- 今吉洋一『複素関数概説』(サイエンス社)— 複素関数論の日本語の教科書。本科目の前提となる内容(等角写像・解析接続など)を幾何学的な視点から復習するのに向く。
- 小木曽啓示『代数曲線論』(朝倉書店)— 代数曲線とリーマン面を両方の立場から扱う日本語の教科書。
楕円関数とモジュラー形式
- 梅村浩『楕円関数論』(東京大学出版会)— 楕円関数の古典論(ワイエルシュトラスとヤコビの理論、楕円積分、テータ関数)を詳しく扱う。
- J.-P. Serre, A Course in Arithmetic (Springer)(邦訳:J.-P. セール『数論講義』岩波書店)— 第 VII 章がモジュラー形式の簡潔で美しい入門。重さの記法()に注意。
- N. Koblitz, Introduction to Elliptic Curves and Modular Forms (Springer) — 合同数問題を動機に、楕円曲線・モジュラー形式・ヘッケ作用素・半整数の重さの形式まで進む。
- F. Diamond, J. Shurman, A First Course in Modular Forms (Springer) — 合同部分群のモジュラー曲線、次元公式、ヘッケ理論、アイヒラー–志村理論からモジュラリティ定理の主張までを扱う。第3章の展望の先を学ぶのに最適。
双曲幾何とタイヒミュラー空間
- 今吉洋一・谷口雅彦『タイヒミュラー空間論』(日本評論社)— 擬等角写像・タイヒミュラー空間・モジュラー群を扱う日本語の本格的教科書。
次に学ぶもの
- 代数幾何学:コンパクトリーマン面は射影代数曲線であり、リーマン–ロッホの定理は任意の代数閉体上で成り立つ(14-algebraic-geometry 第8章)。
- 代数的整数論:楕円曲線と保型形式の L 関数、バーチ–スウィンナートン=ダイアー予想、ラングランズ・プログラム(15-algebraic-number-theory 第6章)。
- リー群と表現論: の表現論と保型表現。重さ の正則尖点形式は の中の離散系列表現に対応する(アイゼンシュタイン級数は に入らず、連続スペクトルに対応する)(16-lie-groups-representations)。
- リーマン幾何学:一般次元のホッジ理論(17-riemannian-geometry 第7章)、ガウス–ボネの定理と特性類(第6章)。
- 偏微分方程式論:ワイルの補題を一般化した楕円型方程式の正則性理論(18-pde 第4章)。
- 総合演習:20-problems 第8章(修士レベル:代数・幾何)、第9章(修士レベル:解析・幾何)。
- さらに先には、アーベル多様体とテータ関数、志村多様体、タイヒミュラー理論と写像類群、楕円曲線の数論幾何などが広がっている。