概要
この科目では、複素数を変数とし複素数を値とする関数の微分積分学、すなわち複素関数論(複素解析)を学びます。定義は実関数の微分とまったく同じ形 ですが、 が平面内のあらゆる方向から 0 に近づくことを要求するため、複素微分可能な関数(正則関数)はきわめて強い性質をもちます。1 回微分できれば無限回微分でき、べき級数に展開でき、小さな集合の上の値だけで全体が決まり、有界な整関数は定数になります。本科目を通じて、この正則性の驚くべき剛性を実感することが第一の目標です。
第1〜3章では正則関数とコーシーの積分定理・積分公式を扱い、剛性を表す基本定理(一致の定理、最大値の原理、リウヴィルの定理など)を証明します。第4〜5章ではローラン展開と留数定理を学び、実関数の定積分や級数の和を複素積分で計算する技術を身につけます。ここは計算の面の中心で、積分路の取り方と評価を省略せずに扱います。第6章は幾何学的な面で、等角写像とリーマンの写像定理を証明します。第7〜8章は理論の応用として、無限積・ガンマ関数・解析接続を学び、最後にリーマンゼータ関数を調べて素数定理を証明します。素数の個数という離散的な量が、複素関数の零点の位置で決まるという事実は、複素関数論の力を最もよく示す例の 1 つです。
複素関数論は、解析学・幾何学・数論のすべてで使われる基本的な道具です。リーマン面と保型形式(19-riemann-surfaces)はこの科目を直接発展させたもので、代数的整数論(15-algebraic-number-theory)のゼータ関数・ 関数、関数解析(10-functional-analysis)のスペクトル理論、偏微分方程式論(18-pde)のフーリエ変換にも、本科目の手法が現れます。
前提知識
- 01-calculus 微分積分学:数列と級数(第2章)、一様収束とべき級数(第6章)、多変数関数の微分(第7章)、重積分(第9章)、グリーンの定理(第10章)。
- 03-topology 集合と位相:距離空間(第1章)、コンパクト性とアスコリ–アルツェラの定理(第5章)、連結性(第6章)。
- 第8章では、素因数分解の一意性(04-algebra 代数学 第1章)を使います。第7章のベータ関数の一部で、重積分の変数変換と積分順序の交換(測度と積分 第5章 の内容の簡単な場合)を使います。
到達目標
- [ ] コーシー–リーマン方程式を証明し、べき級数・指数関数・対数関数・べき関数を複素関数として扱える(対数の分枝と多価性を説明できる)
- [ ] 複素線積分を計算でき、グルサの定理から星型領域とホモトピー形のコーシーの積分定理を証明できる
- [ ] コーシーの積分公式から、正則関数の無限回微分可能性・テイラー展開・リウヴィルの定理・代数学の基本定理・一致の定理・最大値の原理を証明できる
- [ ] ローラン展開を求め、孤立特異点を分類でき、リーマンの除去可能特異点定理とカゾラティ–ワイエルシュトラスの定理を証明できる
- [ ] 留数定理を証明し、有理関数・三角関数の有理式・フーリエ型・分岐をもつ関数の実積分と級数の和を、積分路の評価まで含めて計算できる
- [ ] 偏角の原理とルーシェの定理を証明し、零点の個数を数えられる。開写像定理とフルヴィッツの定理を使える
- [ ] メビウス変換の性質を証明し、単位円板・上半平面の自己同型群を決定でき、具体的な領域の間の等角写像を作れる
- [ ] モンテルの定理とリーマンの写像定理を証明できる
- [ ] ワイエルシュトラスの因数分解定理とミッタク–レフラーの定理を証明し、 の無限積と の部分分数展開を導ける
- [ ] ガンマ関数の解析接続・積表示・相補公式・重複公式を導き、ベータ関数との関係を示せる
- [ ] オイラー積、ゼータ関数の解析接続、 上での非零性を証明し、ニューマンの方法で素数定理を証明できる
- [ ] リーマン予想の主張と、素数分布との関係を説明できる
章立て
- 複素数と正則関数 — 複素平面とリーマン球面、複素微分とコーシー–リーマン方程式、べき級数、指数関数・対数関数・べき関数、一次分数変換の導入。
- コーシーの積分定理 — 複素線積分と ML 不等式、原始関数、グルサの定理、星型領域とホモトピー形のコーシーの定理、回転数、一般形(ホモロジー形)の主張。
- コーシーの積分公式とその帰結 — 積分公式、無限回微分可能性とテイラー展開、コーシーの評価式、リウヴィルの定理、一致の定理、最大値の原理、モレラ・ワイエルシュトラスの定理、シュワルツの補題、調和関数。
- ローラン展開と孤立特異点 — 円環でのローラン展開、除去可能特異点・極・真性特異点、リーマンの定理、カゾラティ–ワイエルシュトラスの定理、有理型関数、無限遠点、リーマン球面上の有理型関数。
- 留数定理とその応用 — 留数の計算、留数定理、実積分(ジョルダンの補題、鍵穴型積分路)と級数の和、偏角の原理、ルーシェの定理、開写像定理、フルヴィッツの定理。
- 等角写像とリーマンの写像定理 — 等角性、メビウス変換と複比、単位円板・上半平面の自己同型群、初等関数による等角写像、モンテルの定理、リーマンの写像定理、カラテオドリの定理とシュワルツ–クリストッフェルの公式。
- 無限積と特殊関数 — 無限積、 の無限積と の部分分数展開、ワイエルシュトラス・ミッタク–レフラーの定理、ガンマ関数とベータ関数、解析接続とモノドロミー定理。
- ゼータ関数と素数定理 — オイラー積、解析接続と関数等式、自明な零点、 上での非零性、チェビシェフ関数、ニューマンの方法による素数定理の証明、リーマン予想。
学習時間の目安と進め方
- 目安は 1 章あたり 10〜15 時間(本文の精読と演習を含む)、全体で 90〜110 時間です。大学の標準的な進度では、第1〜5章が学部 2〜3 年次の半期、第6〜8章がそれに続く半期に相当します。
- 第1〜3章が土台です。 特に第2章のコーシーの積分定理と第3章の積分公式は、以後のすべての章で使います。一般形(ホモロジー形)のコーシーの定理は証明を省略していますが、本書の主要な定理はホモトピー形だけで証明しています。
- 第5章の実積分は、自分で積分路を描き、各部分の積分の評価を書き下す練習をしてください。値が求まったら、実部と虚部の整合性、特別な値での値、数値計算などで検算する習慣をつけると、符号や係数の誤りに気づけます。
- 第6章のリーマンの写像定理の証明は、モンテルの定理(コンパクト性)、フルヴィッツの定理(単射性の保存)、シュワルツの補題(極値性)を組み合わせたものです。それぞれの役割を意識して読んでください。
- 第7〜8章は理論の応用編です。第8章の素数定理の証明は、ゼータ関数の 上での非零性(定理 8.7)とニューマンの解析的定理(定理 8.11)の 2 つが柱です。関数等式やピカールの定理、カラテオドリの定理など、証明を省略・概略にした定理は、その旨を本文に明記しています。
参考文献
- L. V. アールフォルス『複素解析』(笠原乾吉訳、現代数学社) — 複素関数論の古典的な名著の翻訳。幾何学的な見方を重視し、一般形のコーシーの定理、等角写像、楕円関数、解析接続まで扱う。
- 神保道夫『複素関数入門』(岩波書店) — 要点を簡潔にまとめた入門書。短い分量で基本定理と留数計算を一通り学べる。
- 高橋礼司『複素解析』(東京大学出版会) — 標準的な内容を丁寧に解説した教科書。
- 野口潤次郎『複素解析概論』(裳華房) — 理論を詳しく展開した教科書。多変数への展望も意識されている。
- 杉浦光夫『解析入門 II』(東京大学出版会) — 厳密な記述に定評のある解析学の教科書の第 II 巻。複素関数論の基礎も含む。
- E. M. Stein, R. Shakarchi, Complex Analysis (Princeton University Press) — プリンストン解析学講義の第 2 巻。ガンマ関数・ゼータ関数と素数定理、等角写像、楕円関数、テータ関数まで、応用を重視して扱う。
- D. Zagier, "Newman's short proof of the prime number theorem", Amer. Math. Monthly 104 (1997) — ニューマンによる素数定理の短い証明を数ページで解説した論文。第8章の証明はこれに沿っている。
次に学ぶもの
- 19-riemann-surfaces リーマン面と保型形式 — 多価関数を 1 価にするリーマン面、楕円関数、モジュラー形式、一意化定理へ進む。本科目の第4・6・7章の直接の続きである。
- 15-algebraic-number-theory 代数的整数論 — 第6章でデデキントゼータ関数やディリクレの 関数を扱い、第8章の方法を一般化する。
- 10-functional-analysis 関数解析 — レゾルベントの正則性など、作用素のスペクトル理論で複素関数論が使われる。
- 18-pde 偏微分方程式論 — フーリエ変換と調和関数の理論で、複素積分と正則関数の性質が活躍する。
- 20-problems 総合演習 第4章 — 大学院入試レベルの複素関数論の問題で力試しをする。