科目の概要
微分積分学で学んだリーマン積分は、定義域を細かく分割して長方形の面積の和で近似する積分である。連続関数を扱う限りこれで十分だが、解析学では関数列の極限・無限級数・パラメータを含む積分・フーリエ級数など、極限操作が絶えず現れる。そこでリーマン積分には次のような限界が露呈する。
- 極限と積分の交換に一様収束という強い仮定が要る。可積分関数の単調増加列の極限でさえ可積分とは限らない(ディリクレ関数)。
- 可積分関数の空間が 距離に関して完備でない。関数空間を「完備な空間」として扱う関数解析の土台にならない。
- 重積分の順序交換や、無限回のコイン投げのような確率論の対象を扱う枠組みがない。
ルベーグ(H. Lebesgue, 1902)は発想を逆転させ、値域を分割して「 の値がある範囲に入る点の集合の大きさ」を測ることで積分を定義した。そのためには複雑な集合にも「大きさ」を与える必要があり、それを公理化したものが σ-加法族と測度である。この抽象化の見返りは大きく、
- 単調収束定理・優収束定理により、極限と積分の交換がほとんど仮定なしに(優関数さえ見つかれば)正当化できる。
- 空間が完備なノルム空間(バナッハ空間)になる。 はヒルベルト空間であり、フーリエ解析・量子力学・偏微分方程式の舞台となる。
- フビニの定理で重積分の順序交換が、ラドン–ニコディムの定理で「測度の微分(密度)」が、リースの表現定理で連続関数の空間の双対が統一的に扱える。
- 長さ・面積・体積、級数(数え上げ測度)、確率が同じ一つの理論の特殊例になる。
測度論は関数解析・確率論・偏微分方程式・調和解析・エルゴード理論・幾何学的測度論・表現論(ハール測度)の共通の基礎であり、修士課程の解析系の科目はすべてこの科目の言葉で書かれている。
前提知識
- 微分積分:実数の連続性と上限(01-calculus 第1章)、上極限・下極限と級数(01-calculus 第2章)、リーマン積分と広義積分(01-calculus 第5章)、一様収束(01-calculus 第6章)、重積分と変数変換(01-calculus 第9章)
- 位相:距離空間(03-topology 第1章)、開基と連続写像(03-topology 第2章)、ウリゾーンの補題とティーツェの拡張定理(03-topology 第4章)、コンパクト性と局所コンパクト空間(03-topology 第5章)、完備距離空間(03-topology 第7章)
- 集合論:可算・非可算と濃度(00-foundations 第5章)、選択公理(00-foundations 第6章)
- 線形代数:行列式と基本変形(02-linear-algebra 第4章)。第6章の別証明でヒルベルト空間の初歩(10-functional-analysis 第2章)に触れるが、本文の証明はそれに依存しない。
この科目の記法
NOTATION.md に加えて、この科目では次の記法を使う。
| 記号 | 意味 |
|---|---|
| 測度空間(集合・σ-加法族・測度) | |
| 集合族 が生成する σ-加法族 | |
| 位相空間 のボレル集合族 | |
| ルベーグ可測集合全体 | |
| , | ルベーグ測度(次元を明示するときは ) |
| 拡大実数 | |
| 集合 の定義関数 | |
| , | 正部分 , 負部分 |
| , | 積分, 上の積分 |
| ノルム | |
| -a.e. | -ほとんど至るところ |
| , | 単調増加して (和集合), (各点極限)に収束 |
| 対称差 | |
| , | 絶対連続, 互いに特異 |
| ラドン–ニコディム導関数 | |
| 畳み込み | |
| 中心 ・半径 の開球 |
- での演算は 、 と約束する。
- は集合の元の個数(濃度)を表し、ルベーグ測度には使わない。
到達目標
- [ ] リーマン積分の限界を具体例で説明し、σ-加法族と測度という枠組みが必要な理由を述べられる
- [ ] 測度の基本性質(単調性・劣加法性・上下からの連続性)を証明し、π-λ 定理を用いて測度の一意性を示せる
- [ ] カラテオドリの定理とホップの拡張定理によってルベーグ測度・ルベーグ–スティルチェス測度を構成できる
- [ ] ルベーグ測度の正則性・平行移動不変性・線形変換による変換則を証明し、ヴィタリの非可測集合とカントール集合を説明できる
- [ ] 単調収束定理・ファトゥの補題・優収束定理を証明し、優関数を見つけて極限と積分の交換を正当化できる
- [ ] 収束定理が破綻する典型例(逃げる質量・集中する山・広がる山・動く山)を挙げ、どの仮定が破れているか説明できる
- [ ] リーマン可積分性に関するルベーグの判定条件を証明できる
- [ ] ヘルダー・ミンコフスキーの不等式を証明し、 空間の完備性と稠密な部分空間を扱える
- [ ] 概収束・測度収束・ 収束の関係を証明し、反例を構成できる。エゴロフ・ルジンの定理、ヴィタリの収束定理を使える
- [ ] フビニ–トネリの定理を正しい仮定のもとで使い、畳み込みと近似単位元を扱える
- [ ] ハーン分解とラドン–ニコディムの定理を証明し、 の双対空間を決定できる
- [ ] ルベーグの微分定理と、絶対連続関数に対する微分積分学の基本定理を証明できる
- [ ] リース–マルコフ–角谷の表現定理を証明し、測度の弱収束・漠収束を扱える
章立て
- σ-加法族と測度 — リーマン積分の限界から出発し、σ-加法族・ボレル集合族・測度・完備化を導入する。π-λ 定理によって測度の一意性を示す。
- ルベーグ測度の構成 — 外測度とカラテオドリの定理、ホップの拡張定理によるルベーグ測度の構成。正則性・不変性、ヴィタリの非可測集合、カントール集合、ルベーグ–スティルチェス測度。
- 可測関数と積分・収束定理 — 可測関数と単関数近似、積分の定義、単調収束定理・ファトゥの補題・優収束定理とその使い方、パラメータを含む積分、リーマン積分との関係。
- 空間 — ヘルダー・ミンコフスキーの不等式、リース–フィッシャーの定理、稠密性、収束の諸概念と反例、エゴロフ・ルジンの定理、一様可積分性とヴィタリの収束定理。
- 直積測度とフビニの定理 — 直積測度の構成、フビニ–トネリの定理と仮定が必要な反例、畳み込みと近似単位元、変数変換公式、極座標による積分。
- 符号付き測度とラドン–ニコディムの定理 — ハーン分解とジョルダン分解、絶対連続性、ルベーグ分解とラドン–ニコディムの定理、 の双対、条件付き期待値への予告。
- 微分定理と絶対連続関数 — ハーディ–リトルウッドの極大関数、ルベーグの微分定理、有界変動関数、絶対連続関数と微分積分学の基本定理、カントール関数。
- リースの表現定理とラドン測度 — 局所コンパクト空間上の正値線形汎関数を測度で表す。ラドン測度と正則性、 の双対、測度の弱収束・漠収束。
学習時間の目安と進め方
- 学部 3 年の通年講義(90 分 × 25〜30 回)に相当する。1 章あたり演習を含めて 12〜20 時間を見込むとよい。
- 章の依存関係はおおむね「第1章 → 第2章 → 第3章 → 第4章」が幹で、第5章・第6章は第4章まで、第7章は第6章まで、第8章は第4章までと位相空間論を使う。
- 第2章の構成の細部(カラテオドリの定理の証明、直方体の体積の加法性)は、初読では結果を認めて第3章に進んでもよい。ただし「すべての集合に長さを与えることはできない」(ヴィタリの定理)という事実と、それが σ-加法族を導入する理由であることは必ず理解してほしい。
- 第3章がこの科目の核心である。収束定理は証明よりも使い方が重要で、「優関数をどう見つけるか」を多くの例で練習すること。
- 定理を読んだら、必ず次の典型的な反例と照らし合わせて、どの仮定が効いているかを確かめること。
- 逃げる質量 (無限遠へ逃げる)
- 集中する山 (一点に集中する)
- 広がる山 (薄く広がる)
- 動く山(タイプライター列): 上を幅を狭めながら往復する定義関数の列
- ルベーグ積分は抽象的に見えるが、計算の道具としてはリーマン積分より強力で便利である。各章の具体的な積分計算(、ガウス積分、ガンマ関数など)も手を動かして確かめること。
参考文献
日本語
- 伊藤清三『ルベーグ積分入門』(裳華房)— 日本語の定番の教科書。抽象的な測度空間の理論を、有限加法的測度の拡張(ホップの拡張定理)から厳密に展開する。第1〜6章の参照先として最適。
- 吉田洋一『ルベグ積分入門』(筑摩書房)— 長く読み継がれてきた入門書。ルベーグ積分の考え方と基本事項を丁寧に説明している。
- 志賀徳造『ルベーグ積分から確率論』(共立出版)— ルベーグ積分の基礎から確率論への応用までを一冊で扱う。確率論(11-probability)への橋渡しに向く。
- 谷島賢二『ルベーグ積分と関数解析』(朝倉書店)— ルベーグ積分に続けて関数解析の基礎まで扱う。 空間やフーリエ解析など、関数解析への接続を意識して学びたい読者に向く。
- 新井仁之『ルベーグ積分講義』(日本評論社)— 講義形式で丁寧に書かれた教科書。ルベーグ測度の構成や具体例が詳しい。
英語
- W. Rudin, Real and Complex Analysis (McGraw-Hill) — リースの表現定理から測度を構成する流儀(第8章の内容)で書かれた古典。微分定理・ 空間・複素解析まで簡潔かつ高い水準で扱う。
- G. B. Folland, Real Analysis: Modern Techniques and Their Applications (Wiley) — 抽象的な測度論、符号付き測度とラドン–ニコディムの定理、微分定理、ラドン測度を標準的な形で扱う大学院向けの教科書。本科目全体の参照先として適している。
- E. M. Stein, R. Shakarchi, Real Analysis: Measure Theory, Integration, and Hilbert Spaces (Princeton University Press) — のルベーグ測度から始め、微分定理やヒルベルト空間へ進む。動機づけと具体例が豊富。
次に学ぶもの
- 関数解析: 空間は代表的なバナッハ空間であり、 はヒルベルト空間である(10-functional-analysis 第1章、第2章)。双対空間と弱 位相(10-functional-analysis 第4章)は第6章・第8章の内容と直結する。
- 確率論:確率空間は全測度 1 の測度空間であり、期待値はルベーグ積分である(11-probability 第1章)。条件付き期待値はラドン–ニコディムの定理で定義される(11-probability 第5章)。
- 偏微分方程式論:超関数(18-pde 第1章)、フーリエ変換(18-pde 第2章)、ソボレフ空間(18-pde 第3章)はすべて 空間と収束定理の上に立つ。
- 表現論:コンパクト群上の不変積分(ハール測度)は第8章のリースの表現定理から構成される(16-lie-groups-representations 第6章)。
- 総合演習:20-problems 第5章(ルベーグ積分と関数解析)。