Lemma数学ロードマップ

11 · ステージ 5 学部専門

確率論

確率空間、大数の法則、特性関数、中心極限定理、マルチンゲール、マルコフ連鎖、ブラウン運動と伊藤積分

7 章目安 70〜100 時間演習 48 問実験 1

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前提となる科目μ06 測度と積分

章の一覧

  1. 1 確率空間と確率変数目安 14〜20 時間 · 演習 9 問
  2. 2 大数の法則目安 9〜13 時間 · 演習 7 問
  3. 3 分布の収束と特性関数目安 10〜14 時間 · 演習 8 問
  4. 4 中心極限定理目安 10〜14 時間 · 演習 6 問 · 実験 1
  5. 5 条件付き期待値とマルチンゲール目安 10〜14 時間 · 演習 6 問
  6. 6 マルコフ連鎖とランダムウォーク目安 8〜12 時間 · 演習 6 問
  7. 7 ブラウン運動と確率積分入門目安 10〜14 時間 · 演習 6 問

科目の概要

コインを投げる、サイコロを振る、株価が揺れる、花粉の微粒子が水中でふらつく。偶然に支配される現象にも、数多く集まると驚くほど精密な法則が現れる。表の出る割合は 1/21/2 に近づき(大数の法則)、そのゆらぎは正規分布に従い(中心極限定理)、ランダムウォークは 2 次元までは必ず原点に戻るが 3 次元では戻らないことがある(ポリアの定理)。確率論はこのような法則を数学として厳密に述べ、証明する分野である。

20 世紀の初めまで、確率論は「同様に確からしい」場合の数え上げと、直観に頼った議論の寄せ集めであった。「無限回のコイン投げ」や「連続な時間のランダムな運動」を扱おうとすると、確率を与えるべき事象の範囲や極限の意味があいまいになる。コルモゴロフ(1933 年)は、確率空間とは全測度 1 の測度空間であると定めることでこの問題を解決した。事象は可測集合、確率変数は可測関数、期待値はルベーグ積分であり、測度論(06-measure-integration)の定理がそのまま確率論の道具になる。

一方で、確率論は単なる測度論の応用ではない。独立性、条件付き期待値、マルチンゲール、停止時刻、マルコフ性といった確率論固有の概念が理論を動かし、「賭けに必勝法はない」「公平な賭けの所持金は振動し続けられない」といった直観的な原理が厳密な定理になる。この科目では、コイン投げ・ランダムウォーク・ギャンブルの直観と測度論的な定理を往復しながら、次の内容を学ぶ。

  • 確率空間・独立性・期待値と基本的な不等式、ボレル–カンテリの補題
  • 大数の法則(弱法則・強法則)とコルモゴロフの 0-1 法則
  • 分布の収束と特性関数、中心極限定理とその精密化(リンデベルグ、ベリー–エシーン、大偏差)
  • 条件付き期待値とマルチンゲール(任意抽出定理、ドゥーブの不等式、収束定理)
  • マルコフ連鎖(再帰と過渡、定常分布、収束定理、エルゴード定理)
  • ブラウン運動と伊藤積分、確率微分方程式と熱方程式

確率論は統計学・統計力学・数理ファイナンス・情報理論・アルゴリズム(乱択アルゴリズム、マルコフ連鎖モンテカルロ法)の基礎であり、偏微分方程式論・調和解析・エルゴード理論・組合せ論とも深く結びついている。

前提知識

  • 測度と積分:σ-加法族と測度、π-λ 定理(06-measure-integration 第1章)、単調収束定理・優収束定理(第3章)、LpL^p 空間と一様可積分性(第4章)、フビニの定理(第5章)、ラドン–ニコディムの定理(第6章)
  • 微分積分:級数、スターリングの公式、広義積分(01-calculus)
  • 線形代数:対称行列の対角化(02-linear-algebra 第7章)。第4章の多次元正規分布で使う。
  • ヒルベルト空間の射影定理と正規直交基底(10-functional-analysis 第2章)。第5章・第7章で使うが、結果を認めれば読み進められる。

この科目の記法

記号 意味
(Ω,F,P)(\Omega, \mathcal{F}, P) 確率空間
E[X]E[X]、E[X;A]E[X; A] 期待値、E[X1A]E[X\mathbf{1}_A]
Var⁡(X)\operatorname{Var}(X)、Cov⁡(X,Y)\operatorname{Cov}(X, Y) 分散、共分散
a.s. ほとんど確実に(確率 1 で)
i.i.d. 独立同分布 (independent and identically distributed)
SnS_n 部分和 X1+⋯+XnX_1 + \cdots + X_n
X∼μX \sim \mu XX の分布が μ\mu
Xn→PXX_n \xrightarrow{P} X、Xn→dXX_n \xrightarrow{d} X 確率収束、分布収束
μn⇒μ\mu_n \Rightarrow \mu 確率測度の弱収束
B(n,p)B(n,p)、Po⁡(λ)\operatorname{Po}(\lambda)、Be⁡(p)\operatorname{Be}(p)、Ge⁡(p)\operatorname{Ge}(p) 二項分布、ポアソン分布、ベルヌーイ分布、幾何分布
N(m,σ2)N(m, \sigma^2)、N(m,V)N(m, V)、U(a,b)U(a, b)、Exp⁡(λ)\operatorname{Exp}(\lambda) 正規分布、多次元正規分布、一様分布、指数分布
Φ\Phi 標準正規分布 N(0,1)N(0,1) の分布関数
φX(t)=E[eitX]\varphi_X(t) = E[e^{itX}] 特性関数
E[X∣G]E[X \mid \mathcal{G}] 条件付き期待値
(Fn)(\mathcal{F}_n)、(Ft)(\mathcal{F}_t) フィルトレーション
PxP_x、ExE_x 状態 xx から出発するマルコフ連鎖(ブラウン運動)の確率・期待値

到達目標

  • [ ] 確率空間・確率変数・分布・期待値を測度論の言葉で定義し、離散・連続の典型的な分布を扱える
  • [ ] マルコフ・チェビシェフ・イェンセンの不等式を使い、π-系を用いて独立性を判定できる。ボレル–カンテリの補題を証明して使える
  • [ ] 大数の弱法則・強法則を(切断とエテマディの方法を含めて)証明し、コルモゴロフの 0-1 法則を使える
  • [ ] 概収束・確率収束・LpL^p 収束・分布収束の関係を証明し、反例を挙げられる。ポルトマントー定理とプロホロフの定理(R\mathbb{R} 上)を証明できる
  • [ ] 特性関数の反転公式・一意性定理・レヴィの連続性定理を証明し、分布の収束の判定に使える
  • [ ] 中心極限定理とリンデベルグの定理、ポアソンの少数の法則を証明できる。多次元正規分布を扱い、クラメール–ウォルドの方法を使える
  • [ ] ベリー–エシーンの定理・クラメールの大偏差原理・重複対数の法則の主張と意味を説明し、チェルノフ限界を導ける
  • [ ] 条件付き期待値をラドン–ニコディムの定理と L2L^2 の射影で理解し、その性質を証明して計算に使える
  • [ ] 任意抽出定理・ドゥーブの不等式・マルチンゲール収束定理を証明し、ギャンブラーの破産・ポリアの壺・分岐過程に応用できる
  • [ ] マルコフ連鎖の状態を分類し、ポリアの定理、定常分布の存在と一意性、カップリングによる収束定理、エルゴード定理を証明できる
  • [ ] ブラウン運動を構成し、反射原理で最大値の分布を求め、2 次変分を計算できる
  • [ ] 伊藤積分の構成を説明し、伊藤の公式を用いて幾何ブラウン運動やオルンシュタイン–ウーレンベック過程を扱える

章立て

  1. 確率空間と確率変数 — 確率空間と確率変数・分布、分布関数、典型的な離散・連続分布、期待値とモーメント、基本的な不等式、独立性と π-系、ボレル–カンテリの補題、独立な確率変数列の存在とコルモゴロフの拡張定理。
  2. 大数の法則 — 弱法則と強法則(エテマディの証明)、コルモゴロフの 0-1 法則、コルモゴロフの不等式と 3 級数定理、モンテカルロ法・正規数・ワイエルシュトラス近似への応用、グリヴェンコ–カンテリの定理。
  3. 分布の収束と特性関数 — 収束の 4 つの型と反例、弱収束とポルトマントー定理、ヘリーの選出定理とプロホロフの定理、特性関数の反転公式と一意性、レヴィの連続性定理、モーメントとの関係。
  4. 中心極限定理 — i.i.d. の中心極限定理、リンデベルグ–フェラーの定理、ポアソンの少数の法則、多次元正規分布とクラメール–ウォルドの方法、ベリー–エシーン、クラメールの大偏差、重複対数の法則、安定分布。
  5. 条件付き期待値とマルチンゲール — 条件付き期待値(ラドン–ニコディムと L2L^2 射影)、マルチンゲールと公平な賭け、停止時刻と任意抽出定理、ドゥーブの不等式、上向き横断数と収束定理、一様可積分性、後ろ向きマルチンゲールと強法則、ポリアの壺と分岐過程。
  6. マルコフ連鎖とランダムウォーク — 推移確率とチャップマン–コルモゴロフの等式、強マルコフ性、再帰と過渡・周期、ポリアの定理、定常分布の存在と一意性、カップリングによる収束定理、エルゴード定理、詳細つり合いとメトロポリス法。
  7. ブラウン運動と確率積分入門 — ガウス過程、ハール関数によるブラウン運動の構成、スケーリング・時間反転・強マルコフ性、反射原理、2 次変分と経路の性質、伊藤積分と伊藤の公式、確率微分方程式の例、熱方程式との関係。

学習時間の目安と進め方

  • 学部 3〜4 年の通年講義(90 分 × 25〜30 回)に相当する。1 章あたり演習を含めて 12〜20 時間を見込むとよい。
  • 章の依存関係は「第1章 → 第2章 → 第3章 → 第4章」が幹である。第5章は第2章まで、第6章は第5章の停止時刻まで、第7章は第4章(多次元正規分布)と第5章を使う。急ぐ場合は第1章・第2章のあと第5章・第6章に進んでもよい。
  • 定理を読んだら、必ずコイン投げやランダムウォークの具体例で意味を確かめること。可能なら計算機で実験(シミュレーション)してみるとよい。大数の法則や中心極限定理の収束の様子、ランダムウォークの再帰と過渡の違いは、実際に見ると印象が大きく変わる。
  • 仮定の役割は反例で確かめるのが効果的である。本科目の主な反例:コーシー分布(平均が存在せず大数の法則も中心極限定理も成り立たない)、倍賭け法と「倍か無か」(a.s. 収束しても期待値が保存されない)、1 勝ち越したらやめる戦略(停止時刻が有限でも任意抽出定理が破れる)、無相関だが独立でない正規確率変数、周期的なマルコフ連鎖(収束しない)。
  • 測度論の定理(収束定理・フビニの定理・ラドン–ニコディムの定理)は、確率論では「期待値と極限の交換」「独立な確率変数の積の期待値」「条件付き期待値の存在」として現れる。つまずいたら 06-measure-integration の該当する章に戻って確認すること。

参考文献

日本語

  • 舟木直久『確率論』(朝倉書店)— 測度論的確率論の標準的な教科書。極限定理からマルチンゲール、マルコフ過程、ブラウン運動まで、本科目の範囲を過不足なく扱う。
  • 伊藤清『確率論』(岩波書店)— 確率積分の創始者による古典的な教科書。確率過程の基礎を高い視点から論じている。
  • 西尾真喜子『確率論』(実教出版)— 極限定理を中心に、測度論に基づく確率論を丁寧に展開する。
  • 佐藤坦『はじめての確率論 測度から確率へ』(共立出版)— 測度論の初歩から確率論へ橋渡しする入門書。第1章・第2章の副読本に向く。
  • 志賀徳造『ルベーグ積分から確率論』(共立出版)— ルベーグ積分の基礎から確率論への応用までを一冊で扱う。

英語

  • R. Durrett, Probability: Theory and Examples (Cambridge University Press) — 例と演習が豊富な大学院向けの標準的教科書。極限定理・マルチンゲール・マルコフ連鎖・ブラウン運動の全体について、本科目の主な参照先である。
  • D. Williams, Probability with Martingales (Cambridge University Press) — マルチンゲールを軸に測度論的確率論を簡潔かつ明快に展開する。第5章の参照先として最適。
  • P. Billingsley, Probability and Measure (Wiley) — 測度論と確率論を一体として詳しく論じる古典。中心極限定理や弱収束の扱いが詳しい。
  • I. Karatzas, S. E. Shreve, Brownian Motion and Stochastic Calculus (Springer) — ブラウン運動と確率積分・確率微分方程式の本格的な教科書。第7章の先を学ぶために。

次に学ぶもの

  • 確率解析:連続時間のマルチンゲール、局所化による伊藤積分の一般化、ギルサノフの定理、確率微分方程式の強解と弱解、拡散過程へ進む(Karatzas–Shreve)。
  • 偏微分方程式論・関数解析:ブラウン運動の生成作用素 12Δ\frac{1}{2}\Delta と熱半群は、作用素半群(10-functional-analysis 第7章)や発展方程式(18-pde 第5章)の典型例である。熱方程式の古典的な扱いは 08-differential-equations 第7章 を参照。
  • エルゴード理論・統計力学:マルコフ連鎖のエルゴード定理は、測度を保つ変換に対するバーコフのエルゴード定理へ一般化される。大偏差原理は統計力学のエントロピーと密接に関係する。
  • 統計学・数理ファイナンス:中心極限定理とカイ二乗検定、経験過程とコルモゴロフ–スミルノフ検定、ブラック–ショールズ模型は、この科目の直接の応用である。
  • 総合演習:20-problems 第7章(微分方程式と確率論)。